徳川家達という名前を、大河ドラマ「篤姫」の最終回で初めて耳にした人も多いのではないでしょうか。
実は私も「徳川家達・初耳派」の1人なんです。歴史の教科書などでは徳川将軍家・最後の将軍は徳川慶喜までしか教えてくれませんよね。
徳川家がその後どうなったのかも教科書には載っていませんでした。
フジテレビの「大奥」でも、篤姫や和宮の「その後(江戸城無血開城の後)」は放送されませんでした。
(チラッと菅野美穂がドレス姿で人力車に乗ってる場面はありましたが・・)
とにかく、私の頭の中では「徳川慶喜」でストップしていたんです。
それが!篤姫の最終回を見ていたら「徳川家達」という名前が出てきて、けっこうな出番があるじゃないですか!
篤姫が母親代わりとなって、誠心誠意こめて教育したとか、和宮さんも「本当なら私が・・」という台詞もあり。
その後、奥さんをもらって、篤姫を中心に写真撮影をしたり。
篤姫が亡くなった場面も、徳川家達の産まれてくる赤ちゃんへの産着を縫っていて、眠るように死去・・という感じでした。
徳川家達は江戸城を出てからの圧姫の生きがいだったように思えました。
「将軍職」は15代で途絶えたのですが、徳川家達は「徳川宗家・16代当主」ということになります。
幕府は倒されたわけですから、徳川家は罪人のような扱いを受けるかと思いきや、けっこうな職を歴任しています。
徳川家達は位階勲等爵位は従一位大勲位公爵で、貴族院議長を務め、ワシントン軍縮会議では主席全権大使、さらには日本赤十字社の社長などの重要ポストを勤め上げました。
明治政府も、寛大というか、なんというか・・。
倒した幕府の当主を重要ポストにつけるなんて。これも篤姫たちの功績なのでしょうか?
昭和15年に78歳で亡くなるまで、赤十字社に尽力したようです。
もちろんお子さんもいらっしゃいました。長男は徳川家正と三姉妹。
ちょっと驚いたのが、徳川家達の長男徳川家正の奥さんです。
薩摩藩主・島津忠義の娘である島津正子なのですが、この結婚はまさに篤姫の遺言によって決められていて、当人二人が生まれる前にすでに許婚として決まっていたそうです。
すごいなぁ〜・・・篤姫。徳川家達の子供のために産着を縫いつつ「薩摩藩主の島津家から嫁を・・」って考えていたってことですよね。
篤姫たちの尽力のおかげで、無駄な血が流れることもなく、徳川家は今も続いています・・。
幕末とか明治維新とか、歴史上のことであって、遠い遠い過去のことのようですが、徳川家の系図を辿ってみると、篤姫や徳川家達の時代は、ほんのちょっと前の時代のように感じられるから不思議です。
NHK大河ドラマ オリジナル・サウンドトラック 篤姫

